バイポーラ狂双極 第2番 双極性障害

自分の双極性障害について書きます。

希死念慮と『嫌生念慮』
鬱の症状に希死念慮が在るが、双極やうつの場合、厳密に言うと希死念慮ではないのではないかと考えている。少なくとも私の場合は、希死念慮ではない。
屁理屈だと言われそうだが、希死念慮とは読んで字のごとく、死を希望する、いわゆる”死にたい”ということだと思うが、私が鬱状態になった時の気持ちは、「死は怖いし死にたくはない。ただ今は苦しいから、”生きていたくない”のであって、決して死にたくはないのだ。」

先日うつがひどい時、”生きていたくない”と思った。「じゃあ具体的にお前はどうしたいのか!」自分に聞いてみた。
①やはり死にたくはない。
②自分のこの苦しい状態から何とか逃れたい。
③もう少し言うと、「夢も全く見ない状態(自分を意識しない)で眠りたい!、そして目を醒ましたい。願わくばうつを抜けた自分で!」
「やっぱり結果的に希死念慮じゃないの!」と言われそうだが、とにかく死にたいわけではなく、生きていたくないのだ。

あえて言うなら、『嫌生念慮』であろうか。

日内変動
鬱の症状に日内変動が在るが、今は気分安定薬抗うつ剤を服用しているので、それ程でないが、以前小学校6年生から中学1年生の時は、薬の服用が無かったので、日内変動が大きかった。服薬している今でもこの変動は在る。
よく言われるように、朝の目覚めが最も苦痛で、夕方から夜間にかけて軽くなっていく。特に就寝前は毎晩、ひょっとして明日は良くなるのじゃないかと、ごく小さな希望を持つが、それは次の朝に裏切られることになる。

素人で、セロトニンドーパミン等の内分泌についての知識はないが、この日内変動がうつのメカニズムの鍵にならないかとよく思う。
服薬中でも、この日内変動は、程度の差こそあれ存在する。

還暦を過ぎると、毎晩1回は必ずトイレに起きる。その時刻は日によってまちまちだが、1日の中では良い状態の就寝(10:00)から、最悪の起床(6:30)までの間のどの時刻で状態が反転するかを調べてみた。


私の場合は、午前0時でも、3時・4時でも反転しない(就寝前に近い)。しかし5時を過ぎると反転して朝の気分になっていた。午前5時は起床の1.5時間前だが、うつの場合、このあたりで内分泌の大きな変化が在るのではないか、と思うのだが・・・。
こんなことはとうに研究されているよねきっと!

主治医に「双極性障害2型ではないか?」と申し出る

主治医に「双極性障害2型ではないか?」と申し出る

 

この頃になると、「なぜどの抗鬱薬も効かないのか?」という疑問が首をもたげてきた。

また、鬱関係の本は殆ど読んでいたが、新しい本になると、ページは少ないまでも必ず双極性障害に触れており、特に双極性障害2型は、書かれていることが全て自分と一致した。

この時の主治医(心療内科)とは、15年の付き合いであり、互いに信頼関係もあったが、何分高齢であり、「双極性障害2型」についてはあまり良く知らないのではないか?」との思いが強くなった。

そんな時たまたま立ち寄った小さな書店で鬱関係の本を立ち読みした。その本には双極性障害との診断に至るまでに平均8年との記載があり、抗鬱薬が効かない・躁転する・病前性格は明るく積極的・発病が早い・再発率が高い・鬱病と誤診されていることが多い・気分安定薬(ラミクタール・リーマス)での治療が中心で、抗うつ薬で治療していると、躁鬱の波がさらに激しくなり、ラピッドサイクラーになる等の物騒なことが記載されていた。

直ぐにその本を購入し、自宅で改めて読んでみると、自分は「双極性障害2型」と確信するに至った。その本には双極性障害の2つのケースが書かれており、いずれも鬱病として治療されていたが良くならず、著者の病院で診断が双極性障害2型に変わり、「ラミクタール」を服用することで、寛解したというものであった。

 

 

役職定年までに後1週間の3月23日(月)、主治医に電話を掛け、急遽診察をお願いした。相談内容は、どれだけ抗鬱薬を増量しても効果は一時的でしかない。

「自分は鬱病ではなく、双極性障害2型ではないか。」というものであった。

 

主治医からは、

  1. 可能性は十分にあるが、
  2. デパゲン等は使ったことはあるが、ラミクタールについては正直使ったことはない。
  3. 君の場合は、経過が長いし複雑なので、知り合いの専門医に紹介するので紹介先の医師の指示に従ってほしい。
  4. 現在服用している抗鬱薬を各薬のMAXに漸減すこと。等の指示があり、総合病院の精神科医師に紹介状を書いてくれた。
  5.  

過剰摂取

過剰摂取

 

こうして薬剤コストの負担は減ったが、逆に服用量の裁量権は高まった。

そして、これが後の過剰摂取の問題につながった。

「仕事で何かイベントがあり、この日はどうしても外せない。」「課長を集めて会議があり、人前で喋らなければいけない。」このような日が在ると、これらの日から逆算して増量した。

役職定年(60才)の頃になると、いずれもMAXを超え、多いものは2倍のものも在った。

 

10年間の寛解(45才~55才)

 

 

45才から10年間の寛解(軽躁?)の期間があった。

この10年間は、私にとって仕事も人間関係もスポーツも全ての分野で最も充実した時期であった。

これは、そのとき飲んでいた「ノリトレン」と「デプロメール」が効いていた為と考えている。

 

10年間良かったので、それまで飲んでいた「ノリトレン」と「デプロメール」は、後半、かなり少量であり時折服薬を忘れることも在ったと記憶している。

いずれにしても小4で発病して以来、10年間も平穏に過ごせたことは、これまでになかったことであった。

 

10年間の寛解の後、55才で鬱に入った。この時の鬱入りの特徴は、急激でなくじわじわと沈んでいったことである。

今になってみると、両薬(ノリトレンとデプロメー)を増量すれば最も被害が少なかったと思うが、当時は両薬の震えの副作用がとても気になっており、主治医のすすめで、アキネトンを飲んだり、三環系でもいろんなものを試したりしたが、結局収まらなかった。

 新薬(SSRI等)発売ラッシュ

 

 

鬱入りの当時は、SSRIが次々と発売された時期であり、新薬であれば震えの副作用が出ないものも在るかもしれないと、発売後直ぐに出してもらって飲んだが、多寡はともかくどれも震えの副作用は無くならなかった。

 

最初飲んだのは、「ジェイゾロフトSSRI」と「リフレックスNaSSA」だったが、震えの副作用は無くならないし、ボーっとするだけで効果も今一だった。

ジェイゾロフト」について、ブログ等に、「まいっかー?」となると書かれているが、まさにそのとおりで、「悩まなくなる」のではなく「悩めなくなる」といった感じであった。

 

リフレックスNaSSA」は、巷でいわれているように、半端ない眠気の副作用が在った。単剤での効果は余り感じなかったが、現在でも睡眠導入剤として22.5mg服用している。

 

ジェイゾロフトの次に飲んだのは、当時発売された「レクサプロ」だった。

主治医が、「薬を変える時は、直ぐに止めない方がいい。」とのことで、「ジェイゾロフト」を減量しながら徐々に「レクサプロ」に代えていった。「レクサプロ」への変更は、1ヶ月ぐらい掛かったと思う。つまり短期間ではあるが3剤を同時に飲んでいたことになる。

 

3剤同時服用

 

 

ジェイゾロフトから「レクサプロ」への変更が終了し、しばらく「リフレックス」と「レクサプロ」を飲んだが効果はなく、「もう試す薬は無くなってしまった。」との失望感の中で、毎日記載している忘備録を見ていた。すると「レクサプロ」への変更中、「リフレックス」「ジェイゾロフト」「レクサプロ」の3薬を同時に飲んでいる期間に、鬱が回復していることが分かった。変更中は、「レクサプロ」への意識が集中し、気が付かなかったが、3剤を同時に飲み出してから直ぐに良くなり、2剤に戻ってしばらくして、また鬱へ戻っているのが見て取れた。

 

大発見をしたような気持ちになり、早速残っていたジェイゾロフトを追加し、3剤(リフレックスジェイゾロフト・レクサプロ)を同時服用とした。すると服用後2日目の夜、まるで霧が晴れたように、頭も体も軽くなった。

「よしこれだ!自分には3つの組み合わせが必要なんだ!」

「これであの忌まわしき鬱から開放されるんだ!」とまるで天にも登るような気持ちになった。

 

2週間で腰折れ

 

 

3剤服用となって霧が晴れ、元気になって再び頂上を目指したが、しばらくすると、徐々に覇気がなくなり、気がつくとまた谷底に居た。

10日間ほどはいいが、その後、薬の効果が徐々に薄れ、2週間もするとまた元へ戻ってしまうのである。

 

この頃、仕事上大きなイベントなどが重なった。打ち合わせや司会等どうしても外せないものがあり、「1日でいいから、鬱から抜けたい!」という気持ちが強かった。またこの頃になると、増量後何日くらいで調子が良くなり、何日くらいで鬱に戻るかが分かってきた。

そこでイベントの日から、何日前に増量すれば、そのイベントをクリアーできるかを逆算し、増量した。こうして服薬量は徐々に増え、やがて3剤ともMAXになった。

 

鬱に入ってから既に2年が経過していた。気持ちに焦りが在り、3剤を初めて飲んだ時の成功体験が忘れられず、「効かないのは量が少ないからだ!」との理屈で、遂にMAXを超えていった。

 

インドネシアセルトラリンジェイゾロフト

 

 

この頃、もう一つの問題が在った。

3薬は当時、全て新薬で、薬局への支払いが半端なく多く、特に増量して3薬がMAXになる頃には、小遣いの殆どが薬代に消えていた。

 

どんなきっかけだったか憶えていないが、抗鬱薬を個人で輸入できることを知った。日本で新薬でも、海外では既にジェネリックが発売されていて、物によっては、日本の薬価☓3割よりも安いところがあった。ただ薬局のサイトには、「医師の指示の下に服用すること。」の記載が在り、自己判断での服用ではリスクが高いが、医師の指示の下で服用すれば、法的にも問題ないことが分かった。

 

そこで、次の診察日に主治医に思い切って尋ねると、すんなりOKが出た。

次回から、自分が今飲んでいる個人輸入薬の量を主治医に伝え、主治医がカルテに記載して、診察をするという手順となった。

 

抗うつ薬個人輸入の価格には大きな開きが在り、場合によっては、新薬薬価の3割をオーバーするものも在った。なぜ3割よりも高い薬を個人輸入するのか分かりかねたが、医師の処方箋なしで、個人輸入して飲んでみたいとの需要を満たしているのだろうと思った。

一般的に欧米産のものは値段が高く、アジア産のものは値段が低かった。私の個人輸入は、一重に経済的な問題なので、最初は比較的メジャーなところから、次第に安く、なおかつ安全と思われるところから輸入した。

 

詐欺サイトの見極め

 

 

詐欺サイトかどうかの見極めは、サイトに書かれている問い合わせアドレスに、メールを送り、回答が送られて来るかどうかで判断した。サポートに担当者を置いてメールに返信する会社は、まっとうだろうとの考えからである。「まとめ買いは割引があるか?」「郵便局に口座は在るか?」等の質問を送った。

これまで6~7社と取引したがどこも問題はなかった。1社だけ問い合わせに無回答の業者があったが当然そこは遠慮した。

2年生で元気になる

2年生は鬱と鬱の合間の年で、年間を通じて元気な年だった。1年生での鬱が年を超えて早めに開けたこともあって、俄然積極的に通学するようになった。

特に1年生で取得した単位数では4年間での卒業が難しいと考え、昨年の分も取り返そうと以下の計画を立てた(この辺が軽躁的である)。

①月曜日から土曜日まで4コマまで授業を取ることとした。

②各曜日の授業は、自分が聴きたい授業を1コマ、単位取得のための授業を3コマとした。

③自分が聴きたい授業(1コマ)は、必ず受講する。

④単位取得のための授業(3コマ)は、以下の条件を満たすものとした。

 1.代返が可能

 2.レポートのみで試験がないもの

 3.成績は”優”をくれるもの

1年生は殆ど学校に行ってなかったので知り合いは少なかったが、知り合いの知り合いのつてを頼ったりして、授業の締切までには、上記の条件を満たした1周間の時間割が完成した。

どの曜日も自分が聞きたい授業が在るので、月曜日から土曜まで殆ど休まず登校した。

単位取得のための授業には、授業ごとに代返の担当者を決めておき、ほとんど出席せず、掲示板のレポート(課題)提出に注意を払った。

レポートの時期には、13科目のものを書いた。

こうして2年時には138の単位を取得し、3年時に2科目の単位を取得すれば、卒業できるようになった。

学校そのものが、単位取得に関して、「年間取得単位数に制限がない、他の学部の授業も取得できる」等、縛りが少ないことも幸いした。

この頃になると、自分には「2年に1回、初冬から春にかけて鬱になる」ことがあって・・・その対策として「2年時の元気な時に単位を取得しておかなくてはいけない」という潜在意識が在ったのかもしれない。

高いプライドと低い実力

志望校に合格できなかったこともあり、滑り止めの大学に入学したが、朝起きることができなくなった。またこの年は鬱の年になっており、受験に失敗したことが心理的にも影響し、殆ど学校に行くことができなくなっていた。自分のプライドと実力の差を痛感し、それがさらに憂鬱な気分を助長した。取った単位は1年間で僅か数単位であった。