バイポーラ狂双極 第2番 双極性障害

自分の双極性障害について書きます。

モラトリアム浪人生活

一時モラトリアムという言葉が流行ったことがある。

浪人生活は、高校生でなく大学生でもないいわゆるモラトリアムな時期であろう。

どっちつかずで不安定な時期となると思うが、私は1年おきの元気(軽躁?)な年であり、高校時代の勉強不足を埋めるべく必死に勉強した。ただ、高校時代、勉強できたのは1年に満たなかったこともあり、志望校に合格できなかった。

「息子さんは典型的な躁鬱病です!」

県立病院では、暗い感じの若い先生が診察した。先生は2人の話を聞いた後、はっきりと、「息子さんは典型的な躁鬱病です。」と言った。

ただ先生の言った躁鬱病は、今でいう双極性障害ではなかったと思う。というのは、①出た薬が抗鬱剤だったこと、②当時は躁のない鬱も躁鬱病と言われていたこと、③軽躁が在る躁鬱病という考え方がなかったことから、その先生が言ったことは、「典型的な内因性の鬱病です!」ということだったと思う。

県立の専門病院で、躁鬱病と言われたことは、それ程のショックではなかった。やっぱりそうかという気持ちと、なんでもいいから早くこの状態から開放されたい、という気持ちが強く、病名が付いたことでどこかでホッとしたのかもしれない。

父のこと

高3の冬に鬱に入ったと書いたが、この時、父から話があった。

父によると、「俺も19才の頃、お前と同じように悩んだ時期があって、今のお前の状況がその時とそっくりだ。俺の場合は1年位で治まり、それからは出ていないが・・・。病気でなければそれでいいし、病気であればそれに向き合わなければいけないから、俺が一緒に行くんで県立の精神病院に行こう。」とのことであった。

この話を聞いて、私の病前性格、「明るくて社交的・積極的だが、熱しやすく冷めやすい」は父親似であり、父と同じ血が私の中に流れているのを感じた。

それが「感情障害」だよ

不思議に思うのは、あれ程苦しい思いをして、過去を後悔し生きる意味や死について考えたりしたことが全く残っていないことである。もちろん記憶障害が在るわけではないので、◯月☓日頃から鬱になり、◯月☓日頃抜けたということと、こんなことに苦しんだ、は憶えているが、そのことを思い出しても全く苦しくなくて、何故こんなことに苦しんだんだ?てな具合で、全く実感がない。青春の真っ只中に、死についてや生きる意味について悩み苦しんでも、全く悟れずに、成長することもなく消え去ってしまうのだ。それが「感情障害だよ!」と言ってしまえばそれだけだし、あんな感情が残ったら、それはそれでたまったものではないが・・・。

これは恐らく、鬱の悩みは、論理的な悩みではなく、ただやみくもに辛いという感情が湧く、後悔の念が出てくる、罪悪感に囚われる、そのようなマイナス感情が次から次へと出てくるだけで、何ら論理的な根拠がないからではないか。だから鬱から抜ければ、何に悩んでいたっけ?となるのではないか。

赤い小さなおむすび

最初に渡された薬が、おむすびのような形をした赤い小さなものだったことが、妙に印象に残っている。年代と症状からトフラニールだと思われる。この薬には効き目を感じた。こんな小さなもので自分の考え方や感じ方が変わるということに驚きを感じた。

効果も感じたが手の震えや口濁・頭がぼーっとする等の副作用も酷かった。特に震えは脳梗塞などの重い病気のイメージがあり辛かった。診察で先生にこの副作用のことを言うと、別の薬を出してくれたが、どれを飲んでも震え等の副作用があった。後で知ったことだが、普通医師は「こういう薬を飲むと副作用があるが、2週間位で治まるよ。」と説明すると書いてあったが、この時の医師は全く説明もせずに、1週ごとに違う薬を出すので、どの薬も副作用で飲めないことになって閉口した。

高3の冬、再び鬱状態になった。両親は私が鬱状態になって全く勉強せず寝てばかりいる状態になっても、「勉強しろ!」とか言わないで、見守ってくれていた。自分が親になってみると、本当に有り難かったなと感謝の気持ちで一杯になる。

結局、高校時代は、その3分の2を鬱状態で過ごすことになり、1浪することになった。

初めての精神科受診

大学受験を控えていたこともあり、思い切って隣の市にある精神科に行った。当時の精神科は今よりハードルが高く、そこに行けば自分が精神病であることを認めることになると思え怖かった。

また待合室にどんな人が居るだろうと思うと不安だったが、行ってみると普通の病院と変わらなかった。待合室のことは何となく憶えているが、自分が自分の症状をどのように説明し、先生がどのように言ったのかはまったく憶えていない。自分に不都合な記憶だから思い出せないのか、単に忘れただけなのかは、今となってははっきりしない。

ぜんまい仕掛け

高校にはだるさをおして登校していたが、高1の初夏、理由もなく急回復した。この頃から、自分は得体のしれないものを抱え込んでいる。それはぜんまい仕掛けのように冬にやってきて、自分を苦しめ、夏に終わる。

もちろんこれは元気な時に思うことであって、鬱の只中にあっては、この状態が一生続き、逃れることは不可能のように思っていた。

私が行った高校は進学校で、鬱で入学したころは下から数えた方が早かったが、鬱から開放されると、俄然集中力も持続力も高まり、学期末には、上から1割以内に入ることができた。

しかし、高2の冬に、またしても鬱状態になり、学業成績も急降下した。勉強は元気なときであればそれ程苦にならなかったが、鬱になると集中力も思考力も全て消え失せ、全く手につかなかった。

これまでは、1年おきの冬に鬱状態になっていたが、高校時代は毎年の冬に鬱状態になっていた。大学受験を控えていたので心理的なストレスも関係していたかもしれない。